2008年03月03日
萩市の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と萩城跡
【3月3日に新たに記事を投稿しました。】
↑旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の位置です。
萩城跡の近くに有り、210円で両方見れますので、間違って両方で買わないようにして下さいね。
場所も近く料金も共通なので長ったらしくなりましたが、ひとつの記事におさめました。
まずは、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋に向かいます。
1.城の前の一等地にある旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋です。
厚狭毛利家は毛利元就の5男元秋を始祖として、旧山陽町の厚狭に領地を持っていました。
厚狭毛利家については前にも書きました。
この長屋は安政3(1856)年に建てられたものです。
建物内部にはあがる事はできませんが、武具などの展示もあります。
長い長屋ですが、中はいくつもの部屋で仕切られています。
これから向かう萩城の模型も展示されてました。
萩城は平地と山の両方に城をもつタイプです。
何となく建物に比べ山のスケールが小さい気がするのですが、どうなんでしょう。
2.これがメインの萩城跡天守閣跡
明治初期に撮影されたありし日の萩城の写真らしいです。
今はなき天守閣が見えますね。
また、橋も下で見る現在の構造とは違います。
この橋は上げ下げして、出入りを規制できるタイプなんでしょうかね。
で、こちらが現在の萩城跡入り口です。
上の写真とほぼ同じアングルで撮ってみました。
石垣だけが残り、天守閣がないのはやはりちょっと寂しいですね。
殿様の居城はなくなり、橋もいつでも渡れるようなものになり、
侵入者を拒む城も今では誰もが入れる憩いの場になりました。
萩城跡天守閣跡です。
慶長13(1608)年に完成し、明治7(1874)年に解体されました。
今では礎石が残るのみです。
長州のお城が早くに解体されたのは、近代化を目指す長州藩士の決意なのかもしれませんね。
奥に見えるのは指月山です。
しかし、この日は風邪が強く寒かったなぁ。
3.攻めてみました! 萩城跡指月山
指月山への登り口です。
730mという事で、思ったより距離がなさそうです。
この際だから、攻め登っちゃいましょう。
途中にあった重建大祖神廟記の碑です。
明和7(1770)年に第7代萩藩主毛利重就が再建した神社の由来を書いて建てた石碑です。
神社はこの石碑の隣にあったのですが、今はこの石碑だけです。
今でいえば、企業内にある神社みたいなもんですかね。
もう少し登ってみると看板が。
山頂こちらって、おっと展望台なしだって!
山城を登るひとつの目的は眺望を確かめるだっただけに残念。
しかし、ここまで来て引き下がるのももったいないので登ってみる事に。
ぜえぜえ山道を登っていきます。
うーん、距離はなくともやはり山道はきつい。
途中、老夫婦や犬を連れた方などとすれ違いました。
こりゃ、まだ20代の若者のはずの自分がへこたれるわけにはいきません。
ようやく頂上の詰丸跡入り口が見えてきました。
石垣や塀が残っているのが見えます。
あまり期待してなかったけど、こりゃ来たかいがありました。
が、しかしこの後残念な気持ちになることに・・・
土塀には落書きがたくさんありました。
わざわざこんな所に来てまでしなくても(-_-#)
しかし、これはこれで20世紀の人の記録として100年後には保存の対象になるかもしれませんね。
詰丸跡の二の丸から本丸を見た写真です。
手前の大きな石にはクサビの跡が見られますね。
解体のときに壊そうとした跡でしょうかね。
本丸の貯水池です。
やっぱり水が肝心ですよね。
食糧とかはその都度、山を登って運んだと思うと大変な苦労です。
いや、昔の人にとってはこれくらい何でもないか(^^;)
指月山山頂詰丸跡の一角からの眺めです。
萩の城下町がよく見えますね。
ただ、周囲は木々に覆われていて、確かに展望台とはいえません。
4.宇部市に領地をもつ福原家の書院
萩城跡福原家書院です。
福原家は宇部市の領地をもち萩藩の家老を代々つとめました。
この建物は三の丸(堀内)の萩屋敷から移築したものです。
天明年間(1781〜1788)のものと思われ、当時の重臣の建物の特徴がみられるそうです。
ふすま絵も家老って感じです。
で、建物の裏側を回ってみるとこんな感じ。
荒れちゃってるし、煉瓦が見えちゃったり。
後で行く志都岐山神社の社務所として使われるときに改築されたのかな。
もちょっとっきれいにしてくれてもいいのになぁ。
5.明倫館から移築された中国風の万歳橋
明倫館から移築された萩城跡万歳橋です。
1849(嘉永2)年に新築された明倫館につくられた中国風の橋を移築したものです。
志都岐山神社への入り口にあります。
当時の教養は中国の古典が重要でしょうから、
中国への憧れみたいなものもあったのでしょうかね。
6.歴代の藩主を祀る志都岐山神社
志都岐山神社の本殿です。
明治12年に有志によって建てられたらしいです。
灯籠の形がなんだか面白いですね。
7.大正に復元された東園
城内にある庭園、東園です。
看板によると二代藩主の綱広はこの園内に稲田を設けて自ら耕したそうです。
民衆の気持ちを知ろうとしてたのでしょうかね。
現存するのは大正14年に復元されたものらしいです。
この他に、花江茶亭(幕末の藩主毛利敬親の別邸にあった茶室を明治20年頃に移築したもの)、
梨羽家茶室などがありました。
花江茶亭では3月〜11月には抹茶がふるまわれるらしいのですが、今回はまだ閉店状態でした。
8.実は海の中にあった萩城
潮入門跡です。
そもそも指月山は島状態だったのを埋め立てて城をつくったらしいです。
なので、城から海へすぐ出れちゃいます。
ウェルハートピア萩という温泉施設から見た萩城です。
浴場からも見る事ができますよ。
萩城と城下町は世界遺産を目指しているそうですが、
城下町も川や堀に囲まれた立地ですし、海上の城という視点を持つと面白いかもしれませんね。
城内には桜の木がたくさんあり花見所なんだろうなぁ。
しかし、あんまり桜に頼ると年間での利用は難しい。
イベントなどでたまに使われているみたいですけど、もう少し何らかの活用法を考えたい所ですね。
以下は関連するリンクです。
・『輝の窓』の「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」
全国各地の史跡などの写真がのせてあるHPです。
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の写真も多数載せてあります。
・『三日月の館』の「60 萩城(山口県)」
各地の城を訪ねておられる方のブログです。
萩城跡の写真も多数のせられあります。



