2007年12月20日

山陽小野田市(旧小野田市)の徳利窯(国重要文化財)


↑小野田セメント徳利窯の位置です。
南小野田駅の南に太平洋セメントへの入り口があります。
そこからは看板があるので分かるかと思います。
資料なんかもあって、なかなか親切。
こういうのって実は市町村より企業の方がちゃんとしてたりしますよね。


1.徳利窯と言っても、徳利をつくる窯じゃありませんよ。
徳利窯近景1881(明治14)年 日本最初の民間のセメント会社として小野田セメントが創立されます。
1883(明治16)年 同日に行った旦地区などで焼かれた煉瓦を使ってつくられ、1913(大正2)年まで使用されました。
そして、これが現存する最古のセメント竪窯となりました。

四角の焼成部の上に、徳利に似た煙突をもつ構造です。
屋根があって見にくいですが、当時のものを復元した様子だそうです。


焼成部入り口焼成部入り口です。

原料(石灰と粘土)と燃料(石炭)を交互に積んで、
7昼夜焼成したそうです。

うーん、ちょっと崩れそうな気もしますが。
補修修理したっていうのを信じて潜り込んでみましょう。


煙突部分焼成部分から内部を恐る恐るのぞき込んだ様子です。

当然、暗い。
肉眼ではもう少しよく見えたんですけどね。

写真技術が悪くてすみません。
粘って撮り続けるより、そそくさと逃げ出してしまいました。


製樽機焼成したものは、蒸気機関などを使って粉砕し選別してから樽詰めにしたそうです。

徳利窯の隣に使われた機械が置かれてました。

これらは製樽機とありました。



2.なぜ小野田にセメント会社が出来たのでしょうか?
『伝えたいふるさとの100話』によると、創業者の笠井順八は仕事を無くした武士たちのために新しい仕事を探している時に、セメントに目をつけました。
そして、小野田には製陶業にも使う良質な粘土、そして石炭がある事。
また、北九州から石灰を運び込む港、同日に行った浜五挺唐樋のような近世の干拓以来の広い土地もあり、工場を小野田につくったそうです。
こう見てくると、小野田が現在に続く工業地帯になったのも歴史的必然性を感じてしまいそう。
その記念碑として徳利窯が残されてきたのですねぇ。

この他にも『山口県の近代化遺産』には旧小野田セメント(現太平洋セメント)や旧日本舎密製造(現日産化学工業)の事務所などの建物が紹介されています。
これらも一般公開してもらえると嬉しいんですけどねぇ。

企業の神社おまけです。
太平洋セメントの入口付近にありました。
企業内に祠やミニ神社みたいのはよくありますが。

なぜに五重塔?って所が面白かったので撮りました。



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以下は関連するリンクです。
『山陽小野田市』の「旧小野田セメント製造株式会社竪窯」
   山陽小野田市の公式ページです。

『西日本新聞』の「山口県 徳利窯(とっくりがま)」
   九州・山口の産業遺産・近代化遺産を紹介している記事です。

『産業技術遺産探訪』の「旧・小野田セメント 徳利窯」
   屋根がつく前の徳利窯の写真や詳しい解説などがあります。

『響とバイクと山遊び』の「廃墟&近代化遺産(トックリがま)」
   九州を中心に廃墟と近代化遺産をツーリングされている方の記事です。
   徳利窯までの行き方が写真とともに紹介されています。   

『ASA.COM』の「山陽小野田市」
   小野田市を巡った方の記事です。
   周辺は「硫酸町」や「セメント町」などの町名になってるのですね。
   城下町の「呉服町」や「鍛冶屋町」のよう。

『伝えたいふるさとの100話』の「日本近代化の基礎を築いた徳(とっく)利(り)窯(がま)のセメント」
   小野田セメントの創業者の物語が分かりやすく書かれています。

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