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2007年12月17日

山陽小野田市(旧小野田市)の塚の川古墳公園


↑塚の川古墳公園の位置です。
「つかのこう」と読むようです。
赤崎から山口東京理科大学に向かう道沿いに看板が出ていますが、そっからが不親切。
車道で行こうとすると、普通車がぎりぎりな道のあげく踏切で違う!と感じ引き返しました。
とりあえず、防火水槽があるところで駐車してそれらしい方向へ歩くとありました。
途中小径沿いに測量用の杭があるのも目印です。
にしても、もう少し誘導が欲しいところ。
どこか別に道があったのかな?

解説看板解説看板にあった図です。
墳丘は径15mの円墳で、周囲の濠も含めると27mに及ぶ小野田最大級の古墳です。

石室は玄室と前室というふたつの部屋があるものです。
壁となる1段目が大きな石で出来ているのがこの時期の特徴です。

塚の川古墳は出土した須恵器の形などから6世紀後半のものと考えられています。


墳丘墳丘です。
残念ながら石室は冊で中には入れません。
以前に行った下関市の岩谷古墳のように入れると良かったんですけどね。

墳丘と花壇?で挟まれた部分が濠部分でしょうかね。


石室冊の隙間から見た石室の写真です。
奥には大きな石があります。
また、床に礫が敷き詰められた様子が分かります。
せめて草刈りなどメンテナンスをしてもらえると、もっと中が見えるんですが。


大判山古墳石棺いっしょに大判山古墳の石棺が置いてありました。
大判山古墳は塚の川古墳の少し前、5世紀前半の古墳です。
工場の建設に伴って破壊されましたが、全長42mの前方後円墳だったようです。

石棺は何やらプラスチックのようなもので覆われているようです。
しかし、それも壊れてあまり意味がないような。
石棺内部に朱があるそうですが、おかげでよく見えませんでした。


朱のついた人骨や銅鏡や鉄刀が出土したそうですが、行方不明だそうです。
遺物がないのにどうやって時期を決めてるんでしょうか?


塚の川古墳と同時期には岬に近い本山周辺では松山窯跡をはじめ多くの須恵器の窯跡がありました。
須恵器は朝鮮から日本に伝来した当時の最先端の技術でつくられるものでした。
小野田地域の窯は山口県でも最古級のもので、生産物が各地に供給されたようです。
古墳に葬られた人も、こういった産業に関わった人なのかもしれませんね。
小野田は工業地帯ですが、それは古墳時代においても同様だったのですね。
そういう意味で古墳とともに窯跡も何らかの史跡整備なりして欲しかった所です。
なお、出土した須恵器などは歴史民俗資料館で見る事ができました。


以下は関連するリンクです。
『山陽小野田市』の「塚の川古墳」
  公式ページです。


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明けましておめでとうございます。
・・・・・。
遅いですよね。

ふと気がつくと、もう2008年も11日過ぎてしまったのですね。
今年も残りもあと354日。

残りも頑張れ↓↓


さて新...
特集:賃貸物件を「大学」から探す。【★早い者勝ち 不動産物件-速報- by東武住販★】at 2008年01月11日 19:41
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