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2008年04月28日

京都の大村益次郎遭難の地に行ってきました!


大村益次郎は山口市の鋳銭司出身の人です。
幕末に長州藩の軍師として活躍します。
大村益次郎については以前にも書いた事があります。
大村益次郎はここ京都で襲われ、その傷がもとで亡くなる事になります。


1.遭難の地は、突然に街中に出現します!



↑案内碑の位置です。


大村益次郎遭難之地案内碑大村益次郎遭難之地案内碑です。
大村益次郎は明治になって、ここ京都で急進的だという事で襲われます。
それが原因で後に亡くなるわけです。

随分と街中にあったりします。
この高瀬川畔には他にあの坂本龍馬遭難之地もあるわけですが、
それはまたいづれ書く事にします。

案内に誘われ北上してみましょう。



2.そして、これが遭難之地の現場です。



↑遭難之地碑と萬居跡碑のおおよその位置です。
遭難之地碑は高瀬川の西岸に、
萬居跡碑は道に東側にあります。


大村益次郎遭難之地碑大村益次郎遭難之地碑です。
上の写真にもあるように佐久間象山の遭難之地碑と並んでいます。
佐久間象山は勝海舟や坂本龍馬も指導した学者です。
しかし、幕末に尊王攘夷派に暗殺されてしまいます。

色々、字が書かれているようなのですが、
どうも近づきにくく内容までは確認できませんでした。
僕のデジカメではズームでも限界が・・・。



大村益次郎萬居跡碑大村益次郎萬居跡碑です。

さらに、この界隈は桂小五郎と幾松のゆかりの地でもあるわけですが、
こちらもまたの機会に書きたいと思います。



幕末、長州藩の人々が時代の中心にいたときがありました。
山口県の方は京都に行った際にはぜひその足跡を訪ねてみてください。
別に山口県人の誇りがとか言うつもりはないですが、
そういった身近なつながりから歴史を見たり、
過去と比べたりして現代、そしてこの先を考えるきっかけにするのも悪くないと思います。
なぜ、当時あんなにも長州藩の人々が時代をリードする人材となれたのか?
興味わきませんか?


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