2007年12月31日
年末のご挨拶
年末となりました。
このブログは今年の10月から始めました。
自分が好きな博物館や美術館、文化財について、もっと多くの人が知っていただくきっかけになればと思い始めました。
それから山口という地をもっと楽しめる地域にしたかった事。
あとは、自分自身も見て感じた事などを書き留めておくためでもありますけどね。
すぐ忘れてしまうので(^^;)
そんな感じで始めたこのブログですが、
4500以上のアクセスをいただき有り難うございました。
来年もよろしければ読んでみてください。
それでは、あともう少しですがよいお年を!
以下、ちょっとした記録を書いておきます。
振り返ってみました
年末という事で何となく振り返ってみました。
展示のやり方という事については、どの館でもかぶっている事が多いですね。
やはり、どうしたら人を惹き付ける展示ができるのかという点で。
これはプレゼンテーションという意味で展示に限らないテーマなんですよねぇ。
それだけに、面白いし難しい。
以下、特に自分でも関心を持っている点を書いた記事を再掲しておきます。
美術館
・「益田市の県立石見美術館「巨匠と出会う名画展」に行ってきました」
美術の展示において、時代背景の知識などは必要か、解説ツールのあり方などについて書きました。
・「出光美術館(門司)の「日本美術名品選」に行ってきました」
展示物に添える解説文に、どう見たらよいかという文をつける事について書きました。
歴史系
・「北九州市立いのちのたび博物館「修験の歴史と自然」」
歴史系の展示における、テーマやメッセージ性の必要性について書きました。
・「山口市歴史民俗資料館の「懐かしい山口くらし展」」
その物から何が分かるのかという部分では、ちゃんと説明されている一例だと思います。
・「「長州男児の肝っ玉」(萩市立萩博物館)に行ってきました。」
限られた古文書の展示のやりくり方などについて書きました。
民俗系
・「下関市立豊北歴史民俗資料館の活動」
民俗が中心の資料館の活発な活動について書きました。
・「美祢市の歴史民俗資料館と化石館に行ってきました!」
民俗資料の解説に歴史的経緯を加える解説文を見つけました。
・「新南陽民俗資料展示室に行ってきました!」
民俗に限りませんが、企画展のものを常設展で再利用する事で常設展も更新していく事について書きました。
ブログっていうのは、どうしても垂れ流しになりやすいですよね。
RSSが出来てからは自分も各サイト、ブログを流す傾向が多くなりました。
しかし、日記という意味では見返すときが一番面白いのかもしれません。
過去1ヶ月の記事別アクセス数
せっかくなのでこの1ヶ月の記事別アクセス数なども記録しておこうかと思います。
アクセス数、記事の題名、公表日時の順です。
25 下関市立考古博物館周辺の史跡の道を歩こう! 2007/12/28 18:03:16
11 美祢市の歴史民俗資料館と化石館に行ってきました! 2007/12/26 20:20:00
06 新南陽民俗資料展示室に行ってきました! 2007/12/24 23:30:00
29 山陽小野田市(旧小野田市)の旧本山炭鉱斜坑坑口 2007/12/21 20:55:36
22 山陽小野田市(旧小野田市)の徳利窯(国重要文化財) 2007/12/20 20:19:00
24 山陽小野田市(旧小野田市)の旦の登り窯(市指定文化財) 2007/12/19 22:08:57
20 山陽小野田市(旧小野田市)の浜五挺唐樋 2007/12/18 18:00:00
12 山陽小野田市(旧小野田市)の塚の川古墳公園 2007/12/17 23:30:00
19 山陽小野田市の歴史民俗資料館に行ってきました! 2007/12/16 23:30:00
35 山口市歴史民俗資料館の「懐かしい山口くらし展」 2007/12/15 08:19:00
40 下関市の唐戸の近代建築群を見てきました! 2007/12/14 22:52:10
47 下関市のみもすそ川公園の長州砲を見てきました! 2007/12/12 23:55:00
26 下関市の梅光学院大学博物館「中世人骨は語る」講演会 2007/12/08 23:30:00
25 今週末の考古と美術のイベントのお知らせです。 2007/12/06 18:27:46
68 宇部市の赤間硯の里に行ってきました! 2007/12/04 22:04:27
27 宇部市立図書館附設資料館に行ってきました! 2007/12/01 23:30:00
赤間硯がダントツで多いのは何でしょうかね?
早く全てのRSS購読者数が分かるようになるといいんですけどね。
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過去1週間に13クリックいただいて、総合で253中112位、地域情報37中18位でした。

過去1週間に1クリックいただいて、現在27中20位でした。

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美術館
・「益田市の県立石見美術館「巨匠と出会う名画展」に行ってきました」
美術の展示において、時代背景の知識などは必要か、解説ツールのあり方などについて書きました。
・「出光美術館(門司)の「日本美術名品選」に行ってきました」
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歴史系
・「北九州市立いのちのたび博物館「修験の歴史と自然」」
歴史系の展示における、テーマやメッセージ性の必要性について書きました。
・「山口市歴史民俗資料館の「懐かしい山口くらし展」」
その物から何が分かるのかという部分では、ちゃんと説明されている一例だと思います。
・「「長州男児の肝っ玉」(萩市立萩博物館)に行ってきました。」
限られた古文書の展示のやりくり方などについて書きました。
民俗系
・「下関市立豊北歴史民俗資料館の活動」
民俗が中心の資料館の活発な活動について書きました。
・「美祢市の歴史民俗資料館と化石館に行ってきました!」
民俗資料の解説に歴史的経緯を加える解説文を見つけました。
・「新南陽民俗資料展示室に行ってきました!」
民俗に限りませんが、企画展のものを常設展で再利用する事で常設展も更新していく事について書きました。
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2007年12月28日
下関市立考古博物館周辺の史跡の道を歩こう!
↑一応の今回のルートマップです。
梶栗浜遺跡
↓(表示されてない別の細かい道があります)
綾羅木郷遺跡・若宮古墳群・岩谷古墳・下関市立考古博物館
↓
川北神社(上の山古墳)
↓(表示されてない別の細かい道があります)
みやばし古墳群・仁馬山古墳・上ヶ原古墳・植松古墳
↓
有富古墳群
↓
秋根古墳群という道順です。
有富古墳群以外は看板に沿って歩けばいいはずです。
ただし、このマップ上にはない細かい道もあったのでこのルートとは多少異なります。
また、考古博物館で地図が配布されています。
「ALPSLAB route」の計測によると6.3kmと出ました。
片道1時間程度になりますが、ぜひ歩いて距離感を感じて欲しいです。
ちなみに、ケータイバージョンはこちらです。
また、周辺の観音岬古墳と宮山古墳についても一緒に含めて時代順に書いていこうと思います。
この地図には梶栗浜遺跡→若宮古墳、仁馬山古墳周辺の細かい道が書かれています。
ほとんどは車1台分の幅をうねうね行くので徒歩がお勧めです。
もし車で行くなら南の田んぼ沿いの道でピンポイントで歩いていく方法かな。
1.弥生前期のまだ墳丘のないお墓
↑梶栗浜遺跡の位置です。
箱式石棺墓(箱のように板状の石を組んだ棺の墓)から多紐細文鏡と細形銅剣が出土しました。
従来は外来の青銅器との比較から、紀元前200年頃とされてました。
近年の科学的なC(炭素)14年代測定法によると紀元前400年頃という説も出てきました。
国指定史跡。
地図上ではもっと北に文字が打たれてるんですが。
実際には、写真のように線路沿いにあるんですよねぇ(^^;)
2.1〜4世紀(?)の墳丘墓
10mの方形の墳丘墓です。
5つの石棺が所狭しを詰め込まれています。
この頃以後になると、墓を埋める部分以外の墳丘部分が大きくなります。
これは以前も紹介しました。
3.発掘調査された5世紀初頭の前方後円墳
↑仁馬山古墳の位置です。
5世紀前葉。
74mの前方後円墳。
国指定史跡。
この前、現地説明会があったので参加しました。
おおよその内容は、西日本新聞の記事からどうぞ。
周辺の上ヶ原古墳下から出たほぼ同時期の有蓋土坑墓(石の蓋をのせた墓)や竪穴式石室は見応えがありました。
墓を埋める粘土の残りが良かったです。
調査中でもあるので、ここでの写真の掲載は控えておきます。
4.やや小振りの5世紀前半の前方後円墳
5世紀前半。
43mの前方後円墳。
箱式石棺から人骨や玉類と武具が出土しました。
これは以前も紹介しました。
5.半分壊れた未知の古墳
↑観音岬古墳の位置です。
観音岬古墳(livedoor地図)です。5世紀前半。
70mの前方後円墳だったらしいのですが、
前方部分は壊されてしまいました。
出土遺物は円筒埴輪数点。
海に突き出したような立地から、海上交通に関わった首長墓に想定されます。
後円部に登ってみましたが、山なだけでした(^^;)
6.6世紀前半の幻の最大級古墳
↑上の山古墳があった川北神社の位置です。
明治時代に神社をつくるために壊されようです。
現地の看板には6世紀前半の全長約108mの前方後円墳と書かれていました。
横穴式石室で玉類や武具類が出たそうで、今では東京国立博物館にあるようです。
残念ながら、ほぼ跡形もないような状態(>_<)
しかしながら、副葬品は豪華だし立派な古墳だったんだろうなぁ。
7.6世紀中頃の小さくなっていく古墳
↑秋根古墳群のある公園の位置です。
6世紀中頃。
秋根八幡宮の本殿の裏にある横穴式石室をもつ10〜15mの円墳。
市指定史跡。
この頃以降になると、むしろ円墳が主流になっていきます。
石室内を冊の間から撮ってみました。
奥の壁にはベンガラが着いてるらしいです。
ベンガラはあまり分からないけど、意外とよく写ってるv(^o^)
石室のみが残っていたのを1号墳の近くに移築したようです。
しかし、遺物は玉類や武具などやたら多い(°O°;)
ちゃんと残っている1号墳に多いなら分かるけどなぁ。
8.神社に守られる6世紀後半の前方後円墳
↑宮山古墳のある生野神社の位置です。
6世紀後半。
生野神社の境内に残る33mの前方後円墳。。
出土した勾玉は行方不明。
市指定史跡。
ここも神社の境内という事で柵があり中には入りませんでした。
この頃になると、だんだんと規模も小さくなりますね。
9.6世紀後半の横穴式石室に入れる古墳
6世紀後半。
考古博物館横に移築された14mの円墳です。
ここは入れる横穴式石室です。
玉類や武具が出土しました。
これは以前も紹介しました。
10.6世紀末の埋没する古墳
↑有富古墳群の位置です。
有富古墳群(livedoor地図)の位置です。パチンコ屋の裏にあるはずなのですが。
詳しい場所が分からず、さまよって諦めて帰ろうとしたとき・・・
プレハブ小屋の横の木々の間から看板を発見キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
6世紀末。
12mの円墳。
横穴式石室をもつ。
市指定史跡。
さすがにこの狭さでは掘らない限り入れませんね。
もちろん、勝手に掘ってはいけません!
フラッシュたいてないので真っ暗ですね(^^;)
11.進む史跡の道の整備
今回史跡の道を歩いてみました。
史跡といっても見栄えのするものは全部古墳なんですけどね。
木々で墳丘の全景が見えにくかったり、
横穴式石室の中に入れなかったりするのはちょっと残念(T.T)
どうやら仁馬山古墳を史跡整備するらしいので、ここはもっと見えやすくなりそう。
他の石室なども気軽に見れるようにして欲しいのですけどね。
しかし、きれいに芝生に覆われちゃうよりも、
今のような状態もそれはそれで趣きを感じたりするんですよねぇ(^^;)
整備にあたっては、史跡群を関連づけられるようなものが欲しいですね。
スタンプラリー、比較させるワークシート、あるいはipodのような音声案内、QRコードの活用など。
以下は関連するリンクです。
・『古墳のお部屋』の「下関市」
全国の古墳を写真で紹介されています。
石室内の写真もあります。
・『遺跡ウォーカー』
携帯からもGPSで検索できる遺跡地図サイト。
非公式ですが、奈良文化財研究所のデータなので正確でしょう。
コメントや写真などもアップできるらしいです。
かなりスゴい(°O°;)
環境によってはパソコンより携帯の方がさくさく動くかも。
なお、古墳の情報については『山口県史 資料編 考古1』(2000年発行)を参考にしました。


2007年12月26日
美祢市の歴史民俗資料館と化石館に行ってきました!
↑「!」が化石館の位置で、その南に歴史民俗資料館があります。
駅も近くですし、両方ともに駐車場はあるので便利です。
また、化石館の前の通りは化石通りとして化石のオブジェが並んでいます。
1.アンモナイトやらゴキブリやら
手前にあるのが、あの有名なアンモナイトです。
よく見るのは貝のような部分だけですが、本体はイカみたいなんですね。
化石館では、せきつい動物(ナウマン象や魚など)、アンモナイト、昆虫、大型化石など各テーマ毎に展示されていました。
また、あとの歴史民俗資料館も同様ですが館内の解説をテープで流されていました。
解説文を読む作業よりやっぱり楽ですね。
中でも自分はトンボの進化の様子を並べたものが面白かったですね。
現在のトンボも並べられているのが良かったです。
他では種類の名前だけというのも多くて、門外漢には親しみにくいものだったので。
ちなみにトンボと同様にゴキブリのもありましたが、こちらはあんまりじっくり見てられませんでした(笑)
2.歴史には、物を語る物語は必要ですか?
1階は化石資料、2階に考古、伊佐売薬の資料、鉱山資料、別棟に民具がありました。
化石はこちらは時代順で一通りの順序で並べられています。
テーマ毎に展示された化石館と差別化された部分ですかね。
そして、いつも人かと思ってドキっとしてしまうロウ人形。
ここにも伊佐売薬の入り口にありました。
こわい、こわい。
置き薬というと富山のイメージがありましたが、美祢にもあったのですね。
大嶺炭田は煙の出ない無煙炭として有名です。
そのため、日露戦争の際には敵に見つからないために必要とされ、海軍によって管理されたそうです。
写真は野外に設置されていた列車です。
別棟に民具資料が展示されていたのですが、こちらは受付で申し込んで鍵を開けてもらわねばなりません。
そんなわけで、いつものようにあまり期待してなかったのですが(笑)
新たな発見ができました。
それは、器具について歴史的な説明があった事です。
今の○×県の老人が発明したのが普及したとか。
あるいは、稲をまっすぐに植えるようになったのは県が強制したのだとか。
唐箕を作る大工は家を建てる大工仕事はしないだとか。
大抵の所では民具の名前と機能だけなのですが、そこに関わる人間が見えた事が面白かったのです。
展示ではないですが、大嶺炭田でも同じ事を感じました。
『大嶺炭田回顧録 むえんたん』という本が売ってありました。
そこには大嶺炭田に関わる30人以上の語りが載っています。
炭鉱の作業の様子などはもちろん、運動会やら同好会やらの当時の暮らしぶりが面白い。
歴史の教科書的にしか知らない自分にとって、白黒から急に彩られた景色に変わるようにある意味衝撃的でした。
最近、よく思うのは歴史に物語は必要か?という事。
物語や解釈は誤った認識を持つ危険性はあるのだけど、
それを語り続けなきゃ意味がないんじゃなかろうかと。
客観性を求めるあまりに、誤りや対立を恐れて語らない事が逆に誤った認識を野放しにして普及させてしまってはないか?
歴史には対立する解釈がある事をもっと人間味をもって語るべきだと再認識しています。
以下は関連するリンクです。
・『美祢市』の「フォッシルパーク」
美祢市の公式ページです。
化石について解説などもあります。
・『美祢市』の「美祢市歴史民俗資料館」
美祢市の公式ページです。
・『どこまでも自転車で!』の「週末の自転車 山口:美祢市」
愛媛の松山市在住の方の化石館と歴史民俗資料館に行った記事です。
周辺のオブジェなどの写真もあります。
・『NATURAL HISTORY 〔化石のはなし〕』の「山口に化石散策に行ってきました」
化石好きな方が化石散策にこられた時の記事です。


2007年12月24日
新南陽民俗資料展示室に行ってきました!
↑新南陽民俗資料展示室の位置です。
旧福川幼稚園を改装したものでした。
だからステージ上に展示してあったり(笑)
駅からも近いですし、駐車場もあります。
ただ、開館日が他のと違うので要注意です!
1.あなどる事なかれ!
よくある民俗資料というと稲作に関わる農具がありますよね。
しかし、ここはその他の資料が豊富においてありました。
タイプライターやら台所用品やらとにかく多い!
また、瓦やろうそく産業などの展示もありました。
特に瓦は型をはじめて見ました。
そして、古墳などの出土遺物や、福川本陣に関わる品々、戦時中の物品までありました。
やっぱり来たからには何かしらお土産が欲しいですよね。
企画展「旧山陽道」や「ろう産業展」などの冊子がありました。
しかも無料!
路上観察マップは何気なく街角にあるものが紹介されています。
排水溝だとは思いますが、大人でもかがんで入れそうな立派なもの。
この他にも昔ながらの町家や面白い形の家などが載っていました。
2.企画展から常設展へのフィードバック
企画展では「周南の原風景」として、周南の絵図や写真から当時の様子を知ろうという展示がされていました。
自分は土地勘が全くないので、ほんとど素通りしてしまいました(笑)
地元の方とかなら、自分の家の位置を探したりできるんだろうなぁ。
残念ながら今回の展示は終了してしまいましたが、次回は4月に山陽道がテーマの企画展があるようです。
こういう市町村規模の資料館では、なかなか継続的に企画展は少ないので、是非頑張って情報発信を続けて欲しいですね。
また、企画展で使われたのだろうと思われるものが、常設展内にもフィードバックされていました。
企画展のものは多くの場合、借りてきたものが多く終了後には跡形もなくなるんですよねぇ。
だからこそ、今行かねばと企画展のときに入場者が増えたりするんでしょうけど。
しかし、せっかくなのだから常設展にも何らかの形で反映されるのも面白い。
そうする事で、常設展にも変化が出てリピーター増に貢献できるかもしれませんよね。
民俗資料展示室という、歴史民俗でもなく資料館でもない、何とも謙虚な名前ですけど、
中身は十分充実してたと思います。
別に新南陽歴史民俗資料館でも良いと思うんですけどね。
周南市全体の中での位置づけとともに、まだ合併後の過渡期なのかな。
以下は関連するリンクです。
・『周南市』の「新南陽民俗資料展示室」
公式ページです。
企画展などについても載ってあります。


2007年12月21日
山陽小野田市(旧小野田市)の旧本山炭鉱斜坑坑口
↑旧本山炭鉱斜坑坑口の位置です。
本山岬方面の奥にも児童公園がありますが、手前の方の公園にあります。
ちなみ、「大須恵」とあるように周辺は古墳時代の須恵器の窯跡の宝庫です。
1.ラッパが埋まっているわけじゃありません!
明治から色々な組織によって休山や、多くの犠牲者を出した事故を経ながら操業されました。
この坑口は1941(昭和16)年に宇部礦業(株)によって完成され、1963(昭和38)年に閉口されました。
うーん、フェンスが邪魔なんだよなぁ。
このラッパのようなカーブは何か意味があるんですかねぇ?
鉄筋コンクリートづくりの坑道は沖合約3km、最深部約200m、総延長約19kmに及ぶそうです。
ス、スゴい。
側面は石垣でできています。
周辺はすっかり一般の住宅地になっています。
2.♪せーんろは止まるよー、もーとやーまーでー
石炭輸送のために敷かれた鉄道の終点です。
一時はさらに延びていたらしいです。
今では日に数本の通学、通勤に使われています。
本山炭鉱は小野田地域では最大級の炭鉱でした。
また、事故などでたくさんの犠牲者も出されたようです。
石炭は今では石油にとってかわられ、今では日本はエネルギー消費国になっています。
しかし、ついこの間まで厳しい労働環境の中で、
日本のエネルギー生産のために犠牲を払った人々がいた事を忘れる事はできません。
炭鉱関係の道具や史料は歴史民俗資料館で見る事ができました。
以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「旧本山炭鉱斜坑坑口」
山陽小野田市の公式ページです。
・『日本の鉱山』の「本山炭鉱斜坑坑口」
全国各地の鉱山をめぐっている方の記事です。
写真や解説があります。
・『響とバイクと山遊び』の「廃墟&近代化遺産(宇部の海底炭鉱)」
九州を中心に廃墟と近代化遺産をツーリングされている方の記事です。
宇部市の石炭記念館や長生炭鉱についても書かれています。
・『ALL-A』の「宇部炭鉱の遺構」
団地・炭鉱・近代化遺産・建築・まちなみなどについて書かれている方の記事です。
周辺にあった別の近代化遺産について書かれています。
・『鉄道が織り成す情景』の「長門本山(JR西日本・小野田支線)」
長門本山駅について書かれています。
2007年12月20日
山陽小野田市(旧小野田市)の徳利窯(国重要文化財)
↑小野田セメント徳利窯の位置です。
南小野田駅の南に太平洋セメントへの入り口があります。
そこからは看板があるので分かるかと思います。
資料なんかもあって、なかなか親切。
こういうのって実は市町村より企業の方がちゃんとしてたりしますよね。
1.徳利窯と言っても、徳利をつくる窯じゃありませんよ。
1883(明治16)年 同日に行った旦地区などで焼かれた煉瓦を使ってつくられ、1913(大正2)年まで使用されました。
そして、これが現存する最古のセメント竪窯となりました。
四角の焼成部の上に、徳利に似た煙突をもつ構造です。
屋根があって見にくいですが、当時のものを復元した様子だそうです。
原料(石灰と粘土)と燃料(石炭)を交互に積んで、
7昼夜焼成したそうです。
うーん、ちょっと崩れそうな気もしますが。
補修修理したっていうのを信じて潜り込んでみましょう。
当然、暗い。
肉眼ではもう少しよく見えたんですけどね。
写真技術が悪くてすみません。
粘って撮り続けるより、そそくさと逃げ出してしまいました。
徳利窯の隣に使われた機械が置かれてました。
これらは製樽機とありました。
2.なぜ小野田にセメント会社が出来たのでしょうか?
『伝えたいふるさとの100話』によると、創業者の笠井順八は仕事を無くした武士たちのために新しい仕事を探している時に、セメントに目をつけました。
そして、小野田には製陶業にも使う良質な粘土、そして石炭がある事。
また、北九州から石灰を運び込む港、同日に行った浜五挺唐樋のような近世の干拓以来の広い土地もあり、工場を小野田につくったそうです。
こう見てくると、小野田が現在に続く工業地帯になったのも歴史的必然性を感じてしまいそう。
その記念碑として徳利窯が残されてきたのですねぇ。
この他にも『山口県の近代化遺産』には旧小野田セメント(現太平洋セメント)や旧日本舎密製造(現日産化学工業)の事務所などの建物が紹介されています。
これらも一般公開してもらえると嬉しいんですけどねぇ。
おまけです。太平洋セメントの入口付近にありました。
企業内に祠やミニ神社みたいのはよくありますが。
なぜに五重塔?って所が面白かったので撮りました。


以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「旧小野田セメント製造株式会社竪窯」
山陽小野田市の公式ページです。
・『西日本新聞』の「山口県 徳利窯(とっくりがま)」
九州・山口の産業遺産・近代化遺産を紹介している記事です。
・『産業技術遺産探訪』の「旧・小野田セメント 徳利窯」
屋根がつく前の徳利窯の写真や詳しい解説などがあります。
・『響とバイクと山遊び』の「廃墟&近代化遺産(トックリがま)」
九州を中心に廃墟と近代化遺産をツーリングされている方の記事です。
徳利窯までの行き方が写真とともに紹介されています。
・『ASA.COM』の「山陽小野田市」
小野田市を巡った方の記事です。
周辺は「硫酸町」や「セメント町」などの町名になってるのですね。
城下町の「呉服町」や「鍛冶屋町」のよう。
・『伝えたいふるさとの100話』の「日本近代化の基礎を築いた徳(とっく)利(り)窯(がま)のセメント」
小野田セメントの創業者の物語が分かりやすく書かれています。
2007年12月19日
山陽小野田市(旧小野田市)の旦の登り窯(市指定文化財)
1.「旦の皿山」って何でしょう?
↑旦の皿山の広場の位置です。
旦地区は明治から戦前まで陶業が盛んで「旦の皿山」と呼ばれてました。
特に硫酸など入れた硫酸瓶が特産品でした。
駐車場なんかなかったので、適当に。
小野田橋のたもとにある広場です。
旦の陶業は、江戸時代の終わりである1840年頃(天保の末年)に、周防富田(旧新南陽市)出身の陶工甚吉が佐世彦七(前原一誠の父)の援助を受け窯を開いたのが始まりです。
日用品を焼いた事から「皿山」という名が生まれたそうです。
そして、1881(明治14)年にはセメント会社の徳利窯製造のため赤煉瓦の製造も開始されました。
1889(明治22)年に日本舎密製造会社(現日産化学小野田工場)が設立されると、硫酸や硝酸を運搬するために硫酸瓶が作られるようになりました。
以後、硫酸瓶の生産を中心に旦一帯で多くの製造所がつくられました。
硫酸瓶のモニュメントには当時の皿山の風景が描かれています。
これが硫酸瓶です。
1914(大正3)年からは焼酎瓶としての製造も始まりました。
1944(昭和19)年には年78万数千本を製造し、戦前は全国の70%を生産してたそうです。
戦後は、ステンレスやポリエチレン、ガラス瓶などの容器が出現し衰退していきました。
2.当時のままのような登り窯
↑旦の登り窯(江本製陶所の登り窯)の位置です。
思いっきり住宅街の中です。
というか窯自体も一般住宅の中なので。
思いっきり飼い犬に吠えられまくります(笑)
駐車場なんてないので、迷惑のかからないように路駐して下さい。
旦の登り窯です。
『山口県の近代化遺産』には煙突の写真もあり、看板にも表記されてたのですが。
見当たらなかったような・・・。
ちなみに、創始者の甚吉の窯がこの登り窯の焚き口付近にあったそうです。
窯の内部や周辺には硫酸瓶が今も残っています。
内部は黒光りしてて、なんかキレイでした。
古くは古墳時代に須恵器の生産から始まった小野田の陶業。
再び活性化したのは明治まで待たねばならなかったのですね。
それも、また戦後は衰退してしまいました。
しかしながら、その土地ならではの産業というものは必ず脚光をあびる時が来るようです。
まだ眠っている小野田の財産があるかもしれません。
旦の皿山の生産品は歴史民俗資料館で見る事ができました。
以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「旦の登り窯」
山陽小野田市の文化財のページです。
・『AIBOオーナーおばさんの人生いろいろ』の「★様々な昔の思い出を辿った日」
三好邸瓶垣を訪れた方の記事です。
硫酸瓶でこんな石垣があったなんて。
もう少し散策してみれば良かったなぁ。
・『宇部日報』の「宇部、山陽小野田市の産業遺産が近代化産業遺産に認定」
宇部、山陽小野田市の産業遺産十四件が、経済産業省の近代化産業遺産に認定されたニュースです。
旦の登り窯、三好邸瓶垣も認定されました。


↑旦の皿山の広場の位置です。
旦地区は明治から戦前まで陶業が盛んで「旦の皿山」と呼ばれてました。
特に硫酸など入れた硫酸瓶が特産品でした。
駐車場なんかなかったので、適当に。
旦の陶業は、江戸時代の終わりである1840年頃(天保の末年)に、周防富田(旧新南陽市)出身の陶工甚吉が佐世彦七(前原一誠の父)の援助を受け窯を開いたのが始まりです。
日用品を焼いた事から「皿山」という名が生まれたそうです。
そして、1881(明治14)年にはセメント会社の徳利窯製造のため赤煉瓦の製造も開始されました。
以後、硫酸瓶の生産を中心に旦一帯で多くの製造所がつくられました。
硫酸瓶のモニュメントには当時の皿山の風景が描かれています。
1914(大正3)年からは焼酎瓶としての製造も始まりました。
1944(昭和19)年には年78万数千本を製造し、戦前は全国の70%を生産してたそうです。
戦後は、ステンレスやポリエチレン、ガラス瓶などの容器が出現し衰退していきました。
2.当時のままのような登り窯
↑旦の登り窯(江本製陶所の登り窯)の位置です。
思いっきり住宅街の中です。
というか窯自体も一般住宅の中なので。
思いっきり飼い犬に吠えられまくります(笑)
駐車場なんてないので、迷惑のかからないように路駐して下さい。
『山口県の近代化遺産』には煙突の写真もあり、看板にも表記されてたのですが。
見当たらなかったような・・・。
ちなみに、創始者の甚吉の窯がこの登り窯の焚き口付近にあったそうです。
内部は黒光りしてて、なんかキレイでした。
古くは古墳時代に須恵器の生産から始まった小野田の陶業。
再び活性化したのは明治まで待たねばならなかったのですね。
それも、また戦後は衰退してしまいました。
しかしながら、その土地ならではの産業というものは必ず脚光をあびる時が来るようです。
まだ眠っている小野田の財産があるかもしれません。
旦の皿山の生産品は歴史民俗資料館で見る事ができました。
以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「旦の登り窯」
山陽小野田市の文化財のページです。
・『AIBOオーナーおばさんの人生いろいろ』の「★様々な昔の思い出を辿った日」
三好邸瓶垣を訪れた方の記事です。
硫酸瓶でこんな石垣があったなんて。
もう少し散策してみれば良かったなぁ。
・『宇部日報』の「宇部、山陽小野田市の産業遺産が近代化産業遺産に認定」
宇部、山陽小野田市の産業遺産十四件が、経済産業省の近代化産業遺産に認定されたニュースです。
旦の登り窯、三好邸瓶垣も認定されました。

2007年12月18日
山陽小野田市(旧小野田市)の浜五挺唐樋
↑浜五挺唐樋の位置です。
山口市の同様の施設とともに、周防灘干拓遺跡として国指定史跡となっています。
国道190号線の有帆川を渡る小野田橋のところに看板があります。
駐車場への案内も現地にあるのでどうぞ。
1.江戸から平成まで続いたオートマチック
当初は3枚の戸で三挺だったのを、1857年に五挺に増やされました。
唐樋とは、汐の干満作用により自然開閉する構造をもった樋門の事だそうです。
自動で戸が開閉するなんてなんかハイテク!
日本人の自動好きはこの頃から?なんて思ったり。
ちなみにこの写真は夏に撮ったものです。
今回行ったときには、潮が満ち気味で下の戸の構造が見えませんでした。
見学するなら時間帯を考えた方が良いかもしれませんね。
しかも、平成元年まで実際に使用されていたというからさらに驚き。
こういった江戸時代からの開作のおかげで小野田地域は土地が広がったのですね。
2.神輿を守ってもうすぐ100年の煉瓦造り
高泊開作造成以前からあったようです。
本殿と拝殿の屋根の色が全然違ったり。
それはそれで面白いのですが、さらにレトロな煉瓦造りの建物があります。
『山口県の近代化遺産』という山口県教育委員会が出している本によると、神輿庫で1918年につくられたみたいです。
これを調べていくと、作り手や施工主の交流などが分かるかもしれません。
この神輿庫はいわゆるイギリス積みのようですね。
また、レンガを斜めにして飾り(?)にしてるのが面白くて撮りました。
浜五挺唐樋と関連するなら高泊神社に寄るべきだったんですよねぇ。
下調べが足りずに見逃してしまいました。
こちらに行った方の記事があります。
以下は関連するリンクです。
・『おいでませ山口へ』の「周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋」
山口県観光連盟によるサイトです。
干潮時に戸が開く写真が載っています。
・『山口市立白石中学校』の「山口県観光案内 浜五挺唐樋」
総合学習の時間でつくられたようです。
確かにトイレはないですね。
・『水土里(みどり)電子博物館』の「周防灘干拓遺跡」
農林水産省内のページです。
山口市の名田島新開作南蛮樋とともに紹介されています。
・『ASA.COM』の「山陽小野田市」
小野田を巡った方のページです。
浜五挺唐樋の裏側の写真などもあります。

2007年12月17日
山陽小野田市(旧小野田市)の塚の川古墳公園
↑塚の川古墳公園の位置です。
「つかのこう」と読むようです。
赤崎から山口東京理科大学に向かう道沿いに看板が出ていますが、そっからが不親切。
車道で行こうとすると、普通車がぎりぎりな道のあげく踏切で違う!と感じ引き返しました。
とりあえず、防火水槽があるところで駐車してそれらしい方向へ歩くとありました。
途中小径沿いに測量用の杭があるのも目印です。
にしても、もう少し誘導が欲しいところ。
どこか別に道があったのかな?
解説看板にあった図です。墳丘は径15mの円墳で、周囲の濠も含めると27mに及ぶ小野田最大級の古墳です。
石室は玄室と前室というふたつの部屋があるものです。
壁となる1段目が大きな石で出来ているのがこの時期の特徴です。
塚の川古墳は出土した須恵器の形などから6世紀後半のものと考えられています。
残念ながら石室は冊で中には入れません。
以前に行った下関市の岩谷古墳のように入れると良かったんですけどね。
墳丘と花壇?で挟まれた部分が濠部分でしょうかね。
奥には大きな石があります。
また、床に礫が敷き詰められた様子が分かります。
せめて草刈りなどメンテナンスをしてもらえると、もっと中が見えるんですが。
大判山古墳は塚の川古墳の少し前、5世紀前半の古墳です。
工場の建設に伴って破壊されましたが、全長42mの前方後円墳だったようです。
石棺は何やらプラスチックのようなもので覆われているようです。
しかし、それも壊れてあまり意味がないような。
石棺内部に朱があるそうですが、おかげでよく見えませんでした。
朱のついた人骨や銅鏡や鉄刀が出土したそうですが、行方不明だそうです。
遺物がないのにどうやって時期を決めてるんでしょうか?
塚の川古墳と同時期には岬に近い本山周辺では松山窯跡をはじめ多くの須恵器の窯跡がありました。
須恵器は朝鮮から日本に伝来した当時の最先端の技術でつくられるものでした。
小野田地域の窯は山口県でも最古級のもので、生産物が各地に供給されたようです。
古墳に葬られた人も、こういった産業に関わった人なのかもしれませんね。
小野田は工業地帯ですが、それは古墳時代においても同様だったのですね。
そういう意味で古墳とともに窯跡も何らかの史跡整備なりして欲しかった所です。
なお、出土した須恵器などは歴史民俗資料館で見る事ができました。
以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「塚の川古墳」
公式ページです。

2007年12月16日
山陽小野田市の歴史民俗資料館に行ってきました!
↑歴史民俗資料館の位置です。
周辺には図書館などの各種の文化施設が並びます。
1.おカマの町なんです!
1階にある民俗資料は生活用具と漁具が特に目につきました。
まずは、古墳時代のおカマ、6世紀後半の松山窯跡(市指定文化財)の須恵器や塚の川古墳(市指定文化財)の出土遺物などがありました。
遺跡の周辺の「大須恵」などの地名はこれが由来なのでしょうかね。
江戸時代にとんで浜五挺唐樋(国指定史跡)の模型や、関連の家の史料、開作の様子などがありました。
旧小野田市域の市街地の多くは近世以降の開作によって陸地化したんですね。
それがなければ、今の市街地の形成はなかったかもしれません。
あとは、江戸時代の銭がたくさん揃っていました。
続いて、明治期から戦前までの特産品として硫酸瓶がありました。
日本舎密製造会社(現在の日産化学小野田工場)で使用するために大量生産されました。
戦前では全国の70%を占めたそうですが、戦後はステンレスやポリエチレンにとってかわられ衰退したそうです。
今では、旦の登り窯(市指定文化財)が往事をしのばせます。
そして、けっこうな場所をとっていたのが小野田セメント(現在は太平洋セメント株式会社)の概要。
小野田セメントは明治に創立した民間最初のセメント会社だそうです。
徳利の形をしたおカマ、旧小野田セメント製造株式会社竪窯(国重要文化財)はこのタイプとしては全国でここにしか現存しません。
小野田セメントは伊藤博文らとも交流があり、創業者の事などが展示されてありました。
また、旧本山炭鉱斜坑坑口(市指定文化財)に代表されるような、昭和の炭鉱関係の道具類の展示もありました。
2.モノをいかに説明するのか?
竜王山公園は桜の名所でもあり、また360度小野田を見渡せる場所です。
その頂上ののトイレなんですが、透明なので小便しながら見渡せるわけです。
気分は野外の立ちション状態!
ただのトイレにしないこういう遊び心は良いなぁ。
話は戻って旧小野田市の歴史民俗資料館ですので、旧山陽町の部分はなかったですね。
今後、追加されるんでしょうかねぇ。
単なる日本史の流れでなく、地域の特色が色濃く出ているのは面白かったですね。
逆に、古代から中世の小野田がどうだったのかはあまりよく分かりませんでした。
どこか見逃してるのかな。
あとは、やはりどうしても資料をどう見たらいいのかが分かりにくいのです。
これはどこの展示でもよく感じる事なのですけどね。
例えば、須恵器の場合、編年表は貼られているのですがそれだけ。
せっかくなら変遷順に並べて形の変化を見せてあげればいいのに。
物の形が生き物のように変化していくのはけっこう面白いと思うんです。
資料の時代的に幅が狭い点はありますが、多少は変化があったように見えました。
また、江戸時代から昭和初期の灯火具類の展示もあったのですが、いまいちよく分からない。
多分、これの残骸だったのかな。
物を説明するのって、ほんと難しいと思います。
例えば、灯りという事ならば実際に当時の灯りだけの部屋をつくり体験で説明するとか思い付くんですけど。
当然、資料をそのまま使うわけにはいかないので複製品が必要になりますよね。
手作りでもいいけどまともに作ればお金がかかるし、収蔵場所も倍必要になるし。
うーん、難しいですね。
以下は関連するリンクです。
・『山陽小野田市』の「歴史民俗資料館」
公式ページです。
・『山陽小野田市』の「文化財」
指定文化財の一覧のページです。
写真と簡単な解説つきです。

