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2007年12月19日

山陽小野田市(旧小野田市)の旦の登り窯(市指定文化財)

1.「旦の皿山」って何でしょう?

↑旦の皿山の広場の位置です。
旦地区は明治から戦前まで陶業が盛んで「旦の皿山」と呼ばれてました。
特に硫酸など入れた硫酸瓶が特産品でした。
駐車場なんかなかったので、適当に。

旦の皿山ひろば小野田橋のたもとにある広場です。

旦の陶業は、江戸時代の終わりである1840年頃(天保の末年)に、周防富田(旧新南陽市)出身の陶工甚吉が佐世彦七(前原一誠の父)の援助を受け窯を開いたのが始まりです。

日用品を焼いた事から「皿山」という名が生まれたそうです。

そして、1881(明治14)年にはセメント会社の徳利窯製造のため赤煉瓦の製造も開始されました。


モニュメント1889(明治22)年に日本舎密製造会社(現日産化学小野田工場)が設立されると、硫酸や硝酸を運搬するために硫酸瓶が作られるようになりました。

以後、硫酸瓶の生産を中心に旦一帯で多くの製造所がつくられました。

硫酸瓶のモニュメントには当時の皿山の風景が描かれています。


硫酸瓶これが硫酸瓶です。

1914(大正3)年からは焼酎瓶としての製造も始まりました。

1944(昭和19)年には年78万数千本を製造し、戦前は全国の70%を生産してたそうです。
戦後は、ステンレスやポリエチレン、ガラス瓶などの容器が出現し衰退していきました。



2.当時のままのような登り窯

↑旦の登り窯(江本製陶所の登り窯)の位置です。
思いっきり住宅街の中です。
というか窯自体も一般住宅の中なので。
思いっきり飼い犬に吠えられまくります(笑)
駐車場なんてないので、迷惑のかからないように路駐して下さい。

旦の登り窯旦の登り窯です。

『山口県の近代化遺産』には煙突の写真もあり、看板にも表記されてたのですが。
見当たらなかったような・・・。

ちなみに、創始者の甚吉の窯がこの登り窯の焚き口付近にあったそうです。


窯内部窯の内部や周辺には硫酸瓶が今も残っています。

内部は黒光りしてて、なんかキレイでした。



古くは古墳時代に須恵器の生産から始まった小野田の陶業。
再び活性化したのは明治まで待たねばならなかったのですね。
それも、また戦後は衰退してしまいました。
しかしながら、その土地ならではの産業というものは必ず脚光をあびる時が来るようです。
まだ眠っている小野田の財産があるかもしれません。

旦の皿山の生産品は歴史民俗資料館で見る事ができました。


以下は関連するリンクです。
『山陽小野田市』の「旦の登り窯」
  山陽小野田市の文化財のページです。

『AIBOオーナーおばさんの人生いろいろ』の「★様々な昔の思い出を辿った日」
  三好邸瓶垣を訪れた方の記事です。
  硫酸瓶でこんな石垣があったなんて。
  もう少し散策してみれば良かったなぁ。

『宇部日報』の「宇部、山陽小野田市の産業遺産が近代化産業遺産に認定」
  宇部、山陽小野田市の産業遺産十四件が、経済産業省の近代化産業遺産に認定されたニュースです。
  旦の登り窯、三好邸瓶垣も認定されました。


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