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2007年11月30日

萩市の郡司鋳造所遺構ひろばに行ってきました!


↑郡司鋳造所遺構ひろばの位置です。
松陰神社の前の道路をつくるときに発掘調査され少しズラして移築されました。
松陰神社の駐車場にとめて、一帯とともに散策するのがおすすめです。


郡司家は江戸時代の前半の頃から長州藩お抱えの砲術師・鋳造師でありました。
その頃は、大砲だけでなく、日常用品や梵鐘なども作られていました。
郡司鋳造所は幕末に郡司家の細工場(工場?)を長州藩が大砲の鋳造所としたものです。


1.どうやって大砲をつくったのか?
遺構これは実際に検出された遺構の写真です。
普通、地上の構造物は破壊されやすいものですけど、
ちゃんと石組みが残っていたようです。


想像図そして、これが想像図。
3つの窯から真ん中の鋳型に銅を注ぐようです。
しかし、注ぐ所が木なのは火事にならないのかな。
中は一応土造りっぽいけど熱は伝わらないのだろうか。
全部土造りじゃだめなのかなぁ?



復元これが大砲をつくる鋳型に銅を注ぎ込む場を復元したもの。
写真や絵でなく、やっぱ実物大のスケールは必要ですよね。



大砲そして、これが製作されたであろう大砲のレプリカ。



2.作られた大砲はどこへ飛んで行った?
幕末に長州でつくられた長州砲は、長州が英蘭仏米の四国連合艦隊を砲撃した際に使われました。
その後、戦利品として欧州に持ち帰られ多くが行方不明となりました。
しかし、その内の1つが長府博物館に里帰りしており、
「荻野流一貫目青銅砲,天保15年製,郡司喜平治信安鋳造」の銘があります。
看板によると郡司鋳造所がつくられる九年前ですが、その前から同じ場でもつくられているのだから、ここで作られた可能性も残っているのかな。
あるいは、最近確認された別の鋳造所でつくらたのでしょうか。
また、砲撃した砲台は現在、みもすそ川公園となり大砲のレプリカが並んでいます。


以下は関連するリンクです。
『萩博物館』の「幕末長州藩の科学技術」
   去年行われた企画展の概要です。

『西日本新聞』の「WORD BOX 長州砲」
   幕末に長州でつくられた長州砲の概要と、
   2007年3月に発表された新たな鋳造所についての記事があります。

『ある博物館人の飛耳長目録』の「幕末の大砲鋳造遺構の一部を確認!」
   新発見の鋳造所跡を実際に行かれた方の記事です。
   石組みが郡司のものより倍ちかく大きかったり、円形であったり違いがありそうです。

四国連合艦隊砲撃事件
   長州で作られた大砲が使われた戦いの概要です。
   長府博物館の大砲の銘はここのを引用させてもらいました。

『Godzilla.T&Nさんの旅行記』の「ひとり旅 <みもすそ川公園①>長州砲」
   砲撃台があった場所は公園になり、大砲群のレプリカが置かれています。
   多数の写真で紹介されています。


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Posted by nettarou at 23:30Comments(0)TrackBack(0)・萩市の史跡