2011年02月24日
(〜2/27)長府毛利家って?いう人のための展示@長府博物館
さてさて、今回の展示は「長府毛利十四代記」(〜2/27)です。長府藩の毛利家の歴代藩主についてまとめられたもの。江戸時代の山口県のお殿様は毛利家なのですが、実は4つに分かれてます。本家の萩藩のほかに、別家として清末藩、長府藩、徳山藩があるんですね。これらも必ずしも仲が良いわけではないみたいです。この前は周南市で徳山毛利家ってのもありましたね。
それで、今回は長府藩の毛利家の展示ということです。会期は今週末までになってしまいましたが、少しでも興味がもてたかたはぜひいってみてください。僕は予備知識が全くなかったので、色々と発見するができました。
以下3つに分けて、書いて行きます。
1.初代 毛利秀元は秀吉からも家光からも愛されていた
2.中興の祖 毛利重就はどうやって赤字から黒字に転じたのか?
3.展示解説は堅い感じですが、パンフは嬉しいおみやげ。
【長府博物館入口です。建物自体はレトロな昭和8年のもの。】
1.初代 毛利秀元は秀吉からも家光からも愛されていた
ときは戦国時代のことです。中国地方を制した毛利元就の孫として毛利秀元が生まれました。本家の毛利輝元に子がいなかったのでいとこの毛利輝元の養子となります。そして、毛利家の実質的な後継者として大活躍します。豊臣秀吉の朝鮮侵略でも武将としての名をはせるわけです。
そんな秀元と天下人豊臣秀吉との関係を物語るエピソードがあります。秀元が関門海峡で難破した船からある老人を助け出しました。それが実は秀吉だったのです。秀吉が朝鮮侵略中に病気の母がいる大阪にもどるときに、関門海峡で遭難しかけました。そのときに、まだ13歳だった秀元が秀吉を救ったのでした。このことで命を救われた秀吉から一字をもらい秀元という名になったという事らしいです。
そんな秀吉と縁のある秀元ですから、関ヶ原の戦いのときは大変です。毛利輝元の代わりに豊臣方として戦場にたちました。しかし、毛利家は家康が勝った場合に所領をとりあげないかわりに、戦場で戦わないという密約をしました。秀元としては豊臣方として闘うことを主張したらしいですが。結局、毛利勢が動かなかったことが影響してか、豊臣方がやぶれ徳川家康による江戸時代へと動いていくのですね。
その後は、輝元に子供ができたこともあって毛利家の別家として長府藩の藩主となりました。しかし、萩の本家の当主がまだ幼かったので後見人として実質は毛利家の江戸時代のはじまりをかためたそうです。また、徳川家光からも武勇と教養を認められ友と称されます。幕府御用絵師の狩野探幽による肖像画もあるくらいです。
展示では、その秀元に関わるものを中心に展示されてます。展示物で心に残ったのは五大老の書や、絵地図、戦後時代らしいへんてこな飾りの兜とかですかね。いまさらですが、こういう予備知識があるともう少しちゃんと展示物を見れた気がしてきました(笑)
【秀元の城跡です。そばには鯨もいますよ。】
2.中興の祖 毛利重就はどうやって赤字から黒字に転じたのか?
長府毛利家について調べていると気になる人がいました。長府毛利藩の8代目の毛利重就です。重就は本家に跡継ぎがいなくなり本家萩毛利家の7代目にもなりました。ところが、そのとき萩藩は大きな赤字でした。それを黒字にかえていったので、中興の祖と呼ばれてます。徳川吉宗もほぼ同時代で8代目ですよね。8代目ぐらいが転換期なのか、たまたまなのか。
重就はまず検地によって収入をきめ細かくとり増収をえて、それを撫育方(ぶいくかた)として別会計にしました。そして、これを干拓や交易港の開発、製塩産業の振興などに使いました。これで黒字化しちゃったんですね。しかも、これが後々に幕末の長州藩の運動の資金源になっていったなんて話もあるくらいですから、この殿様の功績はでかいですね。こんな政治家が欲しい今日このごろ。
当時の山口県の特産品として「防長四白」(紙、塩、米、ロウソク)なんて言われるらしいです。そのうちの塩についてとくに防府の塩田開発をおこなったんですね。防府の製塩については後々まで続く産業に育ってましたね。幕末の村田清風と目のつけどころはいっしょですかね。
【長府毛利家の墓所。長府博物館の横にあります。】
3.展示解説は堅い感じですが、パンフは嬉しいおみやげ。
と、ここまで初代の秀元と7代目の重就について書いてきましたが。正直にいえば実は展示をあんまりちゃんと観てなかったのです。重就についてはもしかしたら、展示にはそんなになかったかも。だって、解説文がとっつきにくいんですもん。もちょっと興味がひけるように図解なりがところどころにあればいいのに。系図があったのは分かりやすかったですけどね。それでも予備知識がないとなかなか読み込めない感じがしました。
と、文句を言っているこのブログだって良い見栄えとは言いがたいでしょうけど。一応、見出しや写真で見やすいようバランスも考えてるつもりなんですね。文章の内容については難しくてもそういう「見せ方」って必要だと思うんです。ここらへんはこの前の『展示論』の「解説文」の項目のなかでもいわれてましたね。見出しをもうちょっと目立たせたり、全体の展示の流れを示すものがあるだけでもちがったかも。
もちょっと言えば中高生ぐらいが興味をもって読んで見てくれそうなぐらいの柔らかい感じが欲しかったなぁ。だって、中高生ぐらいが実は受験勉強という日常のなかで一番「歴史」というものが身近なはずなんだから。中高生が読んで理解してくれそうな工夫がほしいところ。
でも、下の写真の右側の青いパンフレット「歩いて発見下関シリーズ」は良かったです。これくらいのビジュアルが展示の解説にも欲しかったなぁ。パネルを作るにも費用や時間がかかるから学芸員さんも大変なんでしょうけどねぇ。なんなら、模造紙の手作りでもいいから解説パネルつくってみてもいいかも。市民があんまりだと思って、市長に訴えるなり寄付なりしてくれるかも(笑)
ちょびっと予備知識をもってから見に行くと、展示もより楽しめたんだろうなぁと改めて思いました。
【左がチラシ。右は周辺の関連史跡地図があるパンフ。】
日本博学倶楽部/著『戦国武将・あの人の「その後」—「関ヶ原」「本能寺」…事件が変えた男たちの運命 (PHP文庫)』
PHP研究所 2002年09月 580円
秀元が秀吉をすくったエピソードはこちらの本にもあります。
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童門冬二/著『「中興の祖」の研究—組織をよみがえらせるリーダーの条件』
PHP研究所 2006年06月
中興の祖と呼ばれる人たちのリーダー像をおったもの。長府毛利8代目の重就もとりあげられています。
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古川薫/著『新編歴史散歩 城下町長府』
新日本教育図書 2000年06月 987円
とりあえずの長府入門書ならこれ。下関市在住の古川薫氏(直木賞作家・下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館名誉館長)による長府の歴史案内。
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