2008年03月10日
美祢市名物板碑の1つとその他の石造物
【3月11日(火)の深夜に新たに記事を投稿しました。】
1.県内では美祢市に多い板碑というもの
板碑とは中世(鎌倉、室町時代)につくられた供養のためのものらしいです。
梵字(古代インド文字)が刻まれるもので、関東などに多いらしいです。
山口県内では美祢市が最も多く、美祢市の指定文化財にもなっています。
今回はその一つを訪ねてみました。
↑美祢市の大嶺町の藤ヶ河内の自然石板碑の位置です。
道を行くと看板があります。
あまり車の通りも多くないので、路駐。
山間部ながら、少し開けた所にあります。
で、これらが板碑。
現地の看板には5基とあるのですが、『史跡ガイドふるさと美祢』という本(美祢市歴史民俗資料館で入手)によると4基しか書かれていません。
近くにあるはずの地蔵自然石板碑が5つ目ってことでしょうしょうかね。
4基のうち最も大きい板碑です。
よ、読めませんね。
看板によると徳椿が僧一千人を招いて読経したとあるそうです。
一千人がどこまで本当か分かりませんが、
徳椿という人はかなり熱心な方だったのでしょうね。
で、4つのうちこれが一番見やすかったもの。
上半分には文様のような梵字が見えます。
下半分には文字が刻まれています。
『史跡ガイドふるさと美祢』によると、4基には各々永正15(1518)年、大永3(1523)年、天文8(1539)年、天文10(1541)年に造られたと書いてあるようです。
この時期となると、大内氏の全盛期にも重なりますね。
そして、1543年を鉄砲伝来以降の戦国時代への過渡期。
多くの板碑が残るのも何かそういう時代背景と関係があるのでしょうかね。
5つ目は後ろの奴でしょうか?
戦国時代と現代の石碑が同居してますね。
木は腐るし、金属だって錆びちゃいますし、
石に刻むってのが手っ取り早く長持ちするものなんでしょうね。
2.その他にも慶応の庚申塔なんてものも
道なりに北上していくと庚申塔がありました。
庚申塔は中国の道教の庚申信仰に基づくもので、
人間が寝ている間に三尸虫が悪事を天帝に報告するのを防ぐために、
夜通し祀りや宴会を行う庚申講を3年18回行った記念に建てられるものらしいです。
江戸時代から造られ、
当初は像なども彫られたけど、
次第に文字だけのものになるようです。
割と多くの所に残っているみたいですね。
慶応の字は読めましたが、あとは飾りで見えませんでした。
飾りを勝手にどけるのは気がひけたので。
慶応となると明治の前の幕末ですね。
3.はて、この石造物は何だ?
↑美祢市於福町の田代地区にある石造物の位置です。
すぐ近くにはゴルフ場があるわけですが、
通るとゴルフボールがあるし、
OBとか打たれたら車に直撃してきそうでコワかった(^^;)
で、これが何だかよく分からない石造物。
庚申ではなさそうです。
俵のような字と田までは見えますが。
土台の方を見るとこちらも慶応の年号。
こちらも飾られているので、手をつけず。
ご存知の方は教えて頂けるとありがたいです。
過去の石造物が現在でも信仰の対象になっている所がスゴいですね。
こういうものが身近に残っていると、
何百年前の中世なども親しみが出ますよね。
以下は関連するリンクです。
・『Wikipedia』の「板碑」
オンラインのフリー百科事典です。
板碑について概要が書かれています。
・『Wikipedia』の「庚申塔」
オンラインのフリー百科事典です。
庚申塔について概要が書かれています。












