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2008年01月18日

山陽小野田市(旧山陽町)の寝太郎


↑今回の寝太郎ルートの地図です。
STARTは寝太郎荒神社、GOALが寝太郎ゆめ広場です。

三年寝太郎とは、三年寝てばかりだった寝太郎という若者が、
たくさんのわらじを持って千石舟で佐渡ヶ島へ行き、
島民の古いわらじと交換して帰ってきて、
わらじについた土から桶で砂金を取り出し、
そのお金で川に堰を作り水を引いてたくさんの水田で豊かに暮らしたというお話。

その昔話が全国各地にあるわけですが、
ここ厚狭地方ではそれが文献や史跡として残っているのが特徴です。

1.三年寝太郎はお爺ちゃんだった!
寝太郎荒神社寝太郎を祀る寝太郎荒神社です。
今では住宅開発が進んでいますが、昔は田んぼの中にぽつんと立っていたそうです。

実はこの神社、もとは単なる荒神を祀っていたのが江戸時代頃から寝太郎と結びつけられたそうです。

寝太郎に関わる史跡といっても実証性はちょっと怪しいのです(^^;)



三年寝太郎像駅前の三年寝太郎像です。
お、お爺ちゃん?
そう、実はもとは翁だったのが次第に若者の話に変わっていったのです。

江戸時代に書かれた公的な文献には、中世末によく寝てばかりいた翁が灌漑に尽力したという話だけだったのが、
昭和の頃に佐渡ヶ島へ金を取りにいった話などがくっついて現在に至るそうです。

この像は円応寺に伝わる稲荷木像をモデルにしてるのかな?
豊穣に関連して右手に稲を、左手に鍬を持っていますね。


公民館の寝太郎堰碑公民館にある寝太郎堰碑です。

寝太郎堰は下にあるように、昭和に建替えられました。
その古い堰に使われていた石で作られています。
そう、昭和まで石組みで作られていたんですよね。



2.ようこそネタローランドへ!
千石船の公園続いて厚狭川に並ぶ寝太郎の公園へ。
各公園は寝太郎の話の看板があり、全部めぐって物語が読めるようになってます。
さらに、千石船、わらじ、桶、砂金と各キーワードに沿った施設が各所にあります。

ますは千石船の公園です。
三年寝ていた寝太郎は千石船にたくさんのわらじを積んで佐渡ヶ島へ行きます。

千石舟は中に入って遊べる構造なんですけど、
入る事ができないよう柵で囲まれちゃってます。
何か事故でもあったのでしょうか。


わらじの公園次はわらじの公園です。
佐渡ヶ島に着いた寝太郎は金を掘るのではなく、
島の人に新しいわらじを渡して、ぼろぼろの古いわらじを持って帰るだけでした。

そして、ここではわらじにならって足ツボの施設が。
しかも、わらじ形!
次への期待が膨らみます( ̄▽ ̄)


桶の公園続いて桶の公園です。
佐渡ヶ島から帰ってきた寝太郎は大きな桶でわらじに付いた土を洗い落としました。

そして、ここには桶の遊具の他に桶形の便所があります。
ここまで徹底すれば素晴らしい!

次は砂金の公園。
もしかして、砂金がさらさら流されているとか?


砂金の公園そして、これが砂金の公園です。
わらじから洗い落とした土の中にはたくさんの金が含まれていました。
当時、佐渡ヶ島の金は勝手に持ち出す事ができなかったので、
3年寝た寝太郎はこのような策を考えついたのでした。

そして、そのお金を使って寝太郎は厚狭川に堰を作って、
用水路を整備したので厚狭は豊かな水田地となりました。

で、ここの施設はというと・・・


何も見当たりません!
さすが砂金のネタは思い付かなかったのでしょうかね。


3.寝太郎よ、ありがとう!
寝太郎堰これが現在の寝太郎堰です。
昭和34年大洪水で壊れてしまったのを建替えたものです。

厚狭に寝太郎がいたかどうかはともかく、
現代でも苦労している洪水対策や灌漑のために尽力した先人がいた事は確かですね。


夢ひろば最後は寝太郎公園の夢ひろばです。
ステージもあってイベントができそうですね。

また、ホタルのいる小川やアジサイが植えられていてその時期には名所になりそうです。


現在の水田や厚狭盆地が洪水から守られるようになったのは、
昔の人々が絶えず整備してきたおかげなんですよね。
歴史上には名も残らなかった人々を寝太郎として感謝する気持ちは大切にしたいものです。
伝説や伝承を虚構だとして、無視する事はできないと思います。

こういった公園化は税金の無駄遣いのようにも見えますが、
そういう点を気づかせる記念碑として活用していきたい所です。


以下は関連するリンクです。
『夢大陸』の「虫の眼 第64回「寝太郎の郷のデザイン散歩」
- 山陽小野田市 -」

   福岡が拠点である女性向け総合情報サイト内にある山口の地域情報。
   旧山陽町の厚狭地区についてデザインの眼で書かれています。
『農林水産省』の「水土里の路ウォーキング
(伝説の人物寝太郎を訪ねて~寝太郎疏水の探訪~)」

   沓古墳公園から厚狭駅までの寝太郎関連のコースについて地図つきで説明されてます。
『わしわしLAND』の「雛が迎える寝太郎の里・厚狭」
   2004年に商店街であったおひなさまイベントの様子が多数の写真で紹介されています。
   この通りには古い町家や昭和初期っぽい建物などが残っています。
『キュッ!とランド九州』の「休まない!厚狭の寝太郎 山口県山陽町」
   日刊スポーツ九州による地域情報のページです。
   寝てばかりいた寝太郎が今では大忙しです。
 


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Posted by nettarou at 23:23Comments(0)TrackBack(0)・旧山陽町の史跡

2008年01月15日

山陽小野田市(旧山陽町)の厚狭毛利家の居館址と墓所


1.厚狭毛利家居館址は本当に址だった(^^;)

↑厚狭毛利家居館址の位置です。
一応、もう少し詳しいlivedoorの地図はこちらです。
ただ、あんまり目立った目印はないですね。

厚狭毛利家居館址厚狭毛利家居館址です。
棒が立ってるだけでした(x_x)

厚狭毛利家の始祖は毛利元就の五男の元秋とされます。
厚狭に居館をかまえたのは3代の元宣からです。
しかし、実際には元宣も住んでいたのは萩で、家老としてつとめました。

萩にある厚狭毛利家萩屋敷長屋は国の重要文化財に指定されています。


神社?上の写真にある鳥居のある神社?です。
看板もなく、どういったものなのか分かりませんでした。
厚狭毛利家の居館と何か関連があるのでしょうか?

この道筋には古そうな土蔵がありました。
あとで調べてみると、おそらく居館にあったものっぽい。
他にも建物や門が旧山陽町内のお宅に移築されているらしいです。



2.厚狭毛利家の墓所は静けさの中に

↑厚狭毛利家の菩提寺がある洞玄寺の位置です。
看板も出ているので分かりやすく、駐車場もありました。

洞玄寺の山門洞玄寺の山門です。
洞玄寺は3代元宣がかつて長光寺があった場所に、菩提寺として禅(曹洞)宗の寺として建てられたものです。

屋根の棟や、軒丸瓦には毛利家の家紋がありますね。

また、奥の本堂には禅宗らしい花頭窓が見えます。




石字経王塔境内にある石字経王塔です。
これも厚狭毛利家が建てた経塚で、市指定文化財です。

この他にも、市指定文化財でもある大休・指月石畳道を作ったりした千林尼の墓などもありました。

各所に手作りっぽいですが、説明板があるので親切です。


厚狭毛利家墓所2代元康以後14代が太平洋戦争で戦死するまでの歴代42基の五輪塔、笠塔が並びます。

なかには東京、京都に次ぐ3番目に古い女学校である舟木女児小学を開校した毛利勅子の墓もあります。
舟木女児小学はその後の変遷を経て、現在の厚狭高等学校につながるらしいです。
それで、厚狭高の女子高生が墓の清掃を行うそうです。

厚狭毛利家墓所及び墓碑は市指定文化財。



萩に厚狭毛利家萩屋敷長屋がある事を知ってからずっと気になって厚狭毛利家。
実はまだ、萩のその長屋はまだ見ていないので、今度萩に行った際には訪れたいと思います。


以下は関連するリンクです。
『山陽小野田市』の「文化財」
   国、県、市の指定文化財について簡単に解説されています。
『洞玄寺』
   洞玄寺の公式ページです。
   歴史や名所などが紹介されてあります。


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Posted by nettarou at 23:52Comments(0)TrackBack(0)・旧山陽町の史跡

2008年01月14日

山陽小野田市(旧山陽町)の長光寺山古墳と妙徳寺山古墳と沓古墳

1.古墳時代前期は登り調子(^0^)の長光寺山古墳

↑長光寺山古墳の位置です。
厚狭駅の南西にあります。
途中からけっこうな登り坂をいきますが、駐車場もあります。
より詳しいのはこちらのlivedoorの地図です。

長光寺山古墳の登り口長光寺山古墳の登り口です。
こっから傾斜45度あるんじゃないかと思えるほどの坂を上ります(x_x)
途中から階段らしい階段もないので、気をつけて下さいね。

そして、きれいな形っぽい前方後円墳が待ち構えています。
しかし、木々に埋もれて分かりづらいのが残念。


長光寺山古墳の後円部""長光寺山古墳の後円部頂上です。
全長58m、前方後円墳、4世紀後半で、長門部における最古級の古墳です。

厚狭盆地を眺めるいい場所なはずなんですけど、
木々があってよく見えないんですよねぇ。
せめて一カ所でも伐採してくれたら良いのに。


竪穴式石室中央にある竪穴式石室です。
竪穴式石室が見れる所なんて、そんなにないですよね。

この石室から出土した銅鏡や副葬品の中には、中央の畿内の古墳から出土するものに類似したものがありました。
この事から、埋葬された首長は畿内と関係をもった人だったと考えられています。

古墳は県指定史跡、出土品は県指定有形文化財で、写真はこちらの『山口県の文化財』にあります。



2.古墳時代中期は小振りな(^_^)妙徳寺山古墳

↑妙徳寺山古墳の位置です。
厚狭駅の南東のバイパス沿いにあります。
東から西へなら看板が見えますが、逆だと見えません。
道に囲まれた所に移されたらしいです。
こちらのlivedoorの地図には前方後円墳の形が見えてますよ。

妙徳寺山古墳妙徳寺山古墳です。
全長約30mの前方後円墳で、5世紀前半です。
県内の同時期の30基の同型古墳の中で22~23番目と、ちょっと残念な大きさです。

写真は前方部から後円部を見たものです。
って書いてもよく分かりませんよね(^^;)
やっぱり古墳は現地に行ってナンボなんでぜひ現地で見て下さい。

ちなみに、この古墳はバイパス工事の際に発掘されたもので、
今あるのは少し位置をずらしたものらしいです。


妙徳寺山古墳石室竪穴式石室がありました。
ここからは勾玉などがたくさん出土しましたが、武器類はありませんでした。
また出土した人骨が華奢でもあり、埋葬されたのは女性とする説もあります。

出土品は県指定有形文化財であり、写真はこちらの『山口県の文化財』にあります。




3.古墳時代後期はますますしぼんだ(-_-)沓古墳

↑沓古墳の位置です。
厚狭駅の北東、厚狭川の西岸にあります。
公園化されてる中にあります。

沓古墳遠景手前の厚狭川の向こうにあるのが沓古墳です。
周囲に水田が広がっています。
川沿いでもあり、墳丘自体もかなりなくなっていた状態だったそうです。

 
沓古墳墳丘沓古墳です。
墳丘は復元で6、7mの円墳です。
ほんとに小さい!

時期は6世紀末だそうです。


沓古墳の石室横穴式石室です。
ここは片袖式の石室なんです。

石室を上から見た形を着物の袖にみたてて、両袖式と片袖式とに分類されています。
多分、一般的なのは石室に向かって中央に入り口がつく両袖式なんですが、
沓古墳は石室に向かって右片方に入り口が寄っている片袖式なんです。
ちょっと特殊な人が埋葬されたのかも。

一応、柵があって中には入れません。



4.旧山陽町内の古墳
他にも山陽小野田市の観光マップには七日町古墳が書かれてたのですが、見つからず今回は断念。
南の火ノ山付近にある平松(1号)古墳も離れていたので、次の機会にしました。

この地域の目玉はやっぱり長光寺山古墳ですよね。
竪穴式石室の中に入ってみれるような形でおいてあるのは珍しい。

なお出土品は図書館の一室で見る事ができました。
あの鏡はレプリカでなく本物なのかな?
他に経塚の出土品や化石なども並んでありました。
資料は少ないですけど、もっと積極的に展示してもいいのに。
図書館内でも、もっと人がよく入る所に一部ずつでも置いていくとか。
あるいは、役場にもミニ企画展をするとか。
ちょっともったいない気がしました。


以下は関連するリンクです。
『山陽小野田市』の「史跡」
   市内の史跡や文化財についてそれぞれ写真つきで解説されています。
『山口県の文化財』
   山口県による公式ページで県内の文化財のデータベースです。
『古墳のお部屋』の「山口県 山陽町」
   全国の古墳の写真を掲載されている方のページです。
   平松1号墳や妙徳寺山古墳の発掘調査時の写真もあります。


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Posted by nettarou at 23:47Comments(0)TrackBack(0)・旧山陽町の史跡